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2017年10月21日土曜日

第二の人生・・・・・の5(最終章)

いよいよ、企業様に伺っての2次面接の日が来た。
準備は出来ていた筈だが、やっぱり心が落ち着かない。
56歳のいい歳になってもまだまだ、青臭い奴だ。

面接前、近くのコンビニ駐車場で、派遣会社の営業さんにアドバイスを受けた。「気負わず行けば大丈夫です。力む必要はありません。」

どうやら緊張している自分を見透かされているようだ。
そんなこと言ったって、後の無い自分を自覚しているわけで・・・あっ・・・・・喉カラッカラ・・・」

・・・・・・・・・・




何とか無事面接は終わった。
『あっ~・・・疲れた。』
残っていたペットボトルのお茶を、一気に飲み干した。
やようやく、自分を取り戻した。
面接では、全てのエネルギーを使い果たしたようだ。
『完全燃焼!』やるだけのことは遣った。後は天命を待つのみ。

「ここで、待っていてもらえますか?・・・少し企業様とお話をしてきます。」
こういわれ、駐車場でしばし待つことになった。

指定されていた駐車場で待っていると、間もなく営業さんがやって来た。

「凄く好評でした。ただ、後日40代の方とも面接があるそうです。 事前に約束しているから、結果はその後になります。」

企業様の募集人員はたったの1名。
翌週金曜日まで、結果を待つしかない。

心の叫びが聞こえて来た。
『おまえ本当にやり切ったの?後悔してるじゃない!ビビってんじゃねえよ!』

約束の期日が来た。約束した時間に営業さんからの電話があった。
「企業様から連絡がありました。」

生唾をゴクンと飲んだ。後悔しないくらい頑張った筈なのに、心臓はバクバクだ。
やっぱ、小心者なんだ。結果を待つ間もずっと心が揺れていた。
・・・・・

営業さんが言葉を続けた。
「企業様の回答は、・・・『ぜひ来て欲しい。一緒にやりましょう。』そう言ってました。」

喜びが込み上げてきました。
形はどうあれ、自分を認めてくれる人がいた。
メチャクチャ嬉しかった。

間もなく、58歳。大手企業に派遣されてから2年になります。
2年も経つと、仕事はそこそこできるようになってくるが、見えなくて良いところまで見えてくる。
でもこれは、どんな仕事をしていても当り前のことだ。
心が折れるなんて当たり前。自分にできることを精いっぱい遣るしかない。

定年の60歳までは、あと2年。
とにかくがんばろう。

今の職場では、働く人の能力というか、働ける条件と言うのがある。

・理系の4年生大学を卒業した者。
・高等専門学校で専門の技術を習得した者。
・当社の製造過程で3年以上の経験が有る者。
僕は、このどれにも属さない。

ただ特例として、他社に於いて、製造技術またはCADの経験を有する者。と言うのがあるが、この居室内で特例に辺る人は自分一人の様だ。
中には、あの国内最高峰と言われる大学を卒業した人もいる。

毎日自分に言い聞かせている。
「だから何!できないことなんて何にもないんだよ。諦めなければ絶対に出来るんだ。」って。
自分の子供くらい、いや、それ以下の若者たちに毎日頭を下げ教えを乞う。
「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」なんていうが、聞くばかりの毎日が続く。屈辱の日々だ。
昔は、小さい企業だったが、役職もあった。
当時名前で呼ばれることは無かった。いつも役職名で呼ばれていた。

おごるつもりはないが、とても辛い。
でもこの辛さがエネルギーになる。モチベーションに変わる。

何も知らない人達は、僕の苦労をまったく知らない。
大企業の開発の仕事だってだけで、羨ましがられる。

当たり前だ。
ええかっこしいの僕は、苦労は表に出さず、良いとこだけ見せようとしていた。
そんな毎日を送っていた。

特にファンだったわけでもないが、ある歌手の歌のタイトルに興味を抱くことがある。

『我が人生に悔いはない。』

そう有りたいと思う。そのために日々葛藤している・・・・・

58歳になった。
派遣会社で言われていた、取得資格。

品質管理検定3級⇒2級と1年ごとに取得した。

今の会社で働く人たちの殆どが僕より年下だ。
なのになぜか、背中を丸め、蟹股歩きをしている。

老眼鏡を掛ける姿はどう見てもじじいだ。

僕は思う。
『あれが年相応と言うのだろうか?・・・いや、そんなことは無い筈だ。』

次は、EXCEL_VBAでも目指すか!・・・・・

『アンチエイジング・・・まだまだ奴らに負けはしない。

定年まで走り切ってやる。』

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