僕が子供のころ、お寺は遊び場でした。
蝉を捕まえたり、お墓でかくれんぼしたり・・・
お寺には、湧水の流れる池がありました。(今もあります)
冷たくて、透き通っていて、とても美味しかった。
近くでヘラブナを釣ったときは、いつもこのお寺の池に放していました。
お寺の住職は、考古学者でした。
本堂に続く廊下には、欠片を張り合わせた土器がたくさん並んでいました。
当時、伊王野中学校(今はもうなくなってしまった)脇の畑にいくと、縄文式土器の欠片を所々で見つけることができました。矢じりもよく拾ってきました。
大きな欠片を見付けては、自慢顔でよくお寺に持っていったものです。
和尚さんは、いつもニコニコ顔で僕たちを向かい入れてくれました。
縄文時代のことはもちろん、いろいろなお話をしてくれた。
いつも穏やかな和尚さんは、道徳的なお話もよくしてくれました。
学校の先生や親と違って、なぜか和尚さんの話だけは、素直に聞くことができました。
子供の頃、よく柿やイチジク、ザクロなど、人んちの庭にかっぱらい(盗み)に行ったもんです。
当時は、病気にでもならないとバナナなんてめったに食べられません。
だから僕たちのおやつは、人の家の庭先にあるフルーツをいただいてくるんです。
そしていつも、何故か家主に見つかりゲンコをつられました。(頭をたたかれる)
散々説教され・・・でも最後には盗んだ柿を2~3個もらって帰るんです。
怒られても、お土産もらってニコニコ顔で帰ります。
これが道徳なんでしょうね。
いまじゃ、考えられません。
近所に暴走族のお兄ちゃんがいました。
おいおい、お前もだろうって?
僕は違いますよ。
ただバイクが好きなだけですよ。
話は戻って、
深夜から明け方に掛けて、そのお兄ちゃんが集会から帰ってきます。
でもいつも、いつ帰ってきたのかわからないくらい静かでした。
爆音を鳴らし、ローリングしながら走る暴走族。
当時の彼らは、地元には迷惑がかからないように静かに帰宅していました。
少なくとも、この程度のモラルは持ち合わせていました。
でも、今の子たちには、それすらありません。
悪いことをしても体罰は絶対いけないと言います。
僕たちの時代は、朝のホームルームで担任の様子を察します。
今日は機嫌が悪そうだぞ!
そう感じた日は、たいしたこともしていないのに、よく出席簿で殴られました。
先生の言うことは絶対の時代でしたから、親に告げ口なんてありえません。
いじめ?リンチ?
よくありましたね。
僕は要領の良い子でしたから大丈夫でしたが、部室に呼び込まれて自転車のチェーンで叩かれている同級生もいました。部活の先輩なんかすごく厳しくて、竹刀や鞭で叩かれたもんです。
同じ部活の同級生と、「俺たちの代から、後輩いじめはやめよう!」ってなったんですけどね、今度は全然言うことを聞かなくなってしまい、結局は殴る蹴るで抑え込むしかありませんでした。
でもね、考えてみればこれが世間の冷たい風にも耐えられる心と体を作ってきたんですよね。
もう一度、そんな時代に戻してみるって、どうなんでしょうね。
少しくらいじゃへこたれない、雑草のような生き方。
悪くないと思うんだけどなぁ・・・・・
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