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2019年9月14日土曜日

伊王野城主は大名だった! 2

上杉勢は、ここ白坂の地で徳川家康を待ち受けることになった。
白坂とは東北の玄関口である。伊王野からは国道294号線を通り北へ約16kmのところにある。もし徳川勢が上杉を討つためにこの地へ攻めてきたとしたらその後に江戸時代が築かれることは事は無かったであろうとまで言われていた。
一方、石田三成が西で謀反を起こしてくれたおかげで徳川勢は生き残ったとも言われている。この地で戦うことも無く関が原に向かったので、徳川家康は無事だったのである。




今の時代背景で、なぜこの防塁が上杉にとって有利なのか、徳川に不利になるのか、全く想像も出来なかった。

大河ドラマで紹介されたが、その映像とは全く違う景色だ。
看板の説明にもあるが、今も残っているのはほんの一部である。

石田三成が謀反を起し、徳川家康は関が原に向かう。
それは敵である上杉勢に、尻を向け背中を向けて退陣することになる。
たいへん危険である。そこで引き際に重大な役となるのは殿(しんがり)である。
その殿を務めたのが伊王野氏だったのだ。

徳川が安全に退陣し、謀反を起こした石田三成討伐の為関が原に向かう手助けをする。
それが伊王野勢であった。この功績に対し、後に家康から2000石あまりご加増になったそうであるが・・・

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